葱善について

善い葱から、
善い未来を。

葱善は、最高品質の千住葱を専門に扱う問屋として
目利きの技を明治から4代にわたって受け継いでいます。
千住葱とは、ひとことで言うなら、江戸・明治から
続く料理の名店に愛されてきた絶品の葱です。
千住の町には、かつて江戸の大市場がありました。
明治以降は、東京中の葱問屋が千住やっちゃば通りに集まり、
千住近郊で育てられた葱を競り落とし、太さ、長さ、巻きなどを
吟味し、料理店の注文にあわせて品物を仕立て納めていました。
時は流れ千住葱の生産地は変遷しましたが、
葱善は千住葱本来の美味しさを守り抜いています。
江戸・明治の美食家がこよなく愛した
葱そのものの旨みと香りをご賞味ください。
善い葱を通して、歴史ある看板の味をはじめ
さまざまな料理の主役脇役となり、世の中を幸せで包む
善い未来のお手伝いをさせていただきます。

葱善のパーパス

江戸から受け継いだ『食文化』と
『本物の美味しさ』を届け、共感を獲得し、
食の今と未来を豊かにする。

ビジョン

  • 江戸千住葱をはじめとする江戸東京野菜とその食文化の担い手であることを自覚し、
    より多くのお客様や生活者の皆様に認知浸透を図り、評価・共感していただけるブランドとなる
  • 葱善だけでなく、事業を支えてくださる皆様(協力農家の方々・流通関係に関わる方々・食材として加工し提供する
    お店の方々)が目的を一つに、江戸の食文化の担い手として共に活動していけるベクトルを生み出す
  • 農法改善、マーケティング強化、商品開発・加工・販売体制の構築に注力する
  • 江戸千住葱を通した食育で、子供たちの豊かな心を育む
  • パーパス・ビジョン達成のため、喫緊の課題である人材育成、生産体制強化、安定供給などを目指す

提供価値

信頼できる 葱と野菜のプロフェッショナル

機能的価値

  • 唯一無二の固定種江戸千住葱と、選りすぐりの葱善千住葱の提供
  • 伝統と実績に裏打ちされた目利きの力
  • 味と品質への徹底的なこだわり

情緒的価値

  • 長年培ってきたネットワークによる確実性と安心感
  • 顧客ニーズを読み取り素早くこたえる姿勢
  • 百四十年近く続く老舗ならではの信用

パーソナリティ

  • 常にお客様や社会に寄り添う
  • 歴史や文化を守りながらも、新しいものを採り入れる感度と柔軟性を持つ
  • 葱市場をけん引してきたリーダーとしての誇りを抱き続ける
  • 葱と野菜を愛し、最良のものをお届けするという熱い想いを忘れない

年表

奈良時代
以前
日本に葱が伝来
中国では紀元前から葱を栽培。日本に伝来したのは奈良時代以前と考えられている、日本書紀(720年)延喜式(967年)には葱の記載がある。
江戸初期葱の種が江戸に伝わる

大阪から葱の種が江戸の砂村に伝来、栽培が始まったと言われる。大阪夏の陣の落武者が伝えたという説もある。その後、葱の耕作地が千住に広がった。
根深葱が生まれる

上方の青葱が関東に伝わる。関東の寒さで青葱の葉が枯れ、土の中に残った白い部分を畑で焼いたところ、良い香りがして美味だったため、葉の部分に土をかけ白い部分を多くした根深葱が生まれた。根深葱の味覚は江戸っ子に好まれ、高値で取引された。
江戸中期 千住市場の発展

千住河原町一帯に「やっちゃば」が形成。享保年間(1735)年、千住は幕府の御用市場となり、江戸の三大市場の1つとなった。御用札を立てた野菜の荷は大名行列も道を譲った。
江戸後期江戸の葱栽培

天保年間(1830-32)、葛飾北斎によって描かれた富嶽三十六景・武州千住には葱らしきものを運ぶ馬と人の姿が描かれている。千住近郊は、砂と粘土が混じった肥沃な土壌であり、葱栽培が盛んに行われた。

葱善に伝わる祖先の話

葱善の祖先は江戸の三河島の農家の一族であった。幕末、上野戦争に向かう彰義隊をもてなしたものの、彰義隊は戦に敗れた後、一族のもとを再び訪れ、武具をお礼に置き、落ちのびたという逸話が残る。
明治初期牛鍋の流行

明治4~5年、仮名垣魯文の書「牛店雑談安愚楽鍋」によって、文明開花のシンボルとして牛鍋が紹介され、「牛鍋食べねば開花不進奴」と言われるほど大流行した。牛鍋の具として葱の需要が高まる。
明治18年
(1885)
葱善創業

初代田中善太郎は、葱の需要の高まりを受けて農家から葱問屋に転身し、浅草葱善を創業。千住
から良質な葱を仕入れ、大八車で浅草まで運んでいた。
明治20年代
後半
千住地域での葱栽培が最盛期

日清戦争が行われた明治27〜28年頃、千住地域での葱栽培が最盛期を迎える。その後、千住界隈
の畑は宅地化され、葱の産地は埼玉・千葉・茨城などに広がっていく。
昭和14年
(1939)
価格統制令

アジア太平洋戦争が勃発し、昭和14年には価格統制令が敷かれ、食料品は配給となり、千住葱の
中心地であった千住青物市場が閉鎖される。
昭和25年
(1950)
葱の専門市場が開設

価格統制が緩和され、昭和25年に千住青物市場の系譜を継ぐ山柏青果物卸売市場が開設。千住
系葱に属する根深葱を専門に扱う市場となる。葱善は山柏青果物卸売市場などから良質な葱を仕
入れる業者として、浅草の地で復活を遂げる。
平成3年
(1991)
4代目 田中康浩が事業を継承

祖父、父の仕事ぶりを見ながら育った田中康浩が4代目として事業を継承。目利きの技によって選び
抜いた最高品質の葱を飲食店に向けて届けている。また千住葱の食文化を未来へ受け継いでいく
ために、江戸千住葱の固定種を使用した伝統の育成方法、生産農家と協働で土壌改良に努めてい
る。
令和3年
(2021)
江戸野菜のお店 OPEN

高級料理店で愛用される江戸千住葱や、江戸野菜の美味しさを一般の方にも味わっていただきた
いという思いから専門店をオープン。台東区千束小学校の門の正面にある葱善の倉庫の一角にあ
る。
令和3年
(2021)
オンラインストア OPEN

江戸千住葱、江戸野菜はもちろんのこと、「ねぎ屋さんのねぎ味噌」「ねぎ屋さんのねぎ塩」などの一
品を扱うオンラインストアをオープン。食通から愛されている。

会社概要

会社名株式会社 葱善
創業1885年(明治18年)
設立1973年(昭和48年)7月
資本金1,500万円
所在地<本社>
東京都台東区千束3-6-10(旧 浅草千束町3)
TEL 03-3872-2990
FAX 03-3872-5242
E-MAIL info@negizen.co.jp
<倉庫>
東京都台東区浅草4-30-10
代表者代表取締役 田中 庸浩
事業内容長葱を主とする野菜類(辛味大根・山葵・大和芋・舞茸等)の
都内近郊飲食店への販売
取引銀行みずほ銀行(千束町支店)
東京三菱銀行(雷門支店)
三井住友銀行(雷門支店)
横浜銀行(東京支店)
定休日日曜・祝祭日

店舗

営業時間:
毎週木・金曜日 10:00~13:00(臨時休業あり)
営業カレンダーはこちら

〒111-0032
東京都台東区浅草4-30-10
(千束小学校正門の向かい)
地図を見る (Google Map)

電話:03-3872-2990

取り扱い商品 :
江戸千住葱
ふぞろい葱
大しめじ
辛味大根
見切り品などのお買い得商品も販売予定