江戸辛味大根を知る

享保年間(一七一六一七三五年)江戸浅草芝崎町、極楽寺道光庵の庵主(信川長野出身)は、蕎麦打ちの名人といわれ、鰹だしの代りに(辛味大根をおろして蕎麦を振舞いました。蕎麦めあての人が、心にかこつけて連日門前に列をなし、「江戸評判記」では、蕎麦処の筆頭に挙げられるまでになりました。

当時、市中で辛味大根を自家で栽培するまでに流行ったと言いますから蕎麦に辛味大根」は、江戸の粋な作法として定着していたと、言えます。

極楽寺道光庵は、世田谷区教育委員会調べによると「慶長元年(1596)白誉称往上人により湯島に創建されたが、明暦の大火で浅草に、さらに関東大震災により昭和2年当地に移転した。浅草のころ当寺は、寺内の道光庵庵主のつくるそばが有名となり「そば切り寺」として知られたが、修行の妨げになるとして天明6年(1786)「そば禁制」の碑が当寺住職により建てられた。

この碑は同庵にあった俳人宝井其角の句碑・墓とともに現在、当寺に残されている。

確かな目で選んだ農地で、確かな人が育て、厳選された「辛味大根」

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